日本の自然災害 500~1995年

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火山噴火災害(サンプル)

その1:【浅間山天明大噴火】

浅間山天明大噴火之図

浅間山天明大噴火之図

つい最近、噴火活動を起こしたばかり。日本の代表的な活火山であるが、浅間山の噴火については飛鳥時代の天武天皇13年(685)から記録が残っている。江戸時代後期の天明3年(1783)に起きた噴火は最大級のものである。噴火は4月9日(新暦5月9日)に始まり、5月26日大きな鳴動を発して活動がしだいに激しくなり、7月5日には大噴火となって同8日午前ついに大爆発を起こした。

この爆発で発生した熱雲は北麓に流れ下り、火砕流の直撃を受けた吾妻郡鎌原村は全村が土石に埋められた。次いで「鬼押出し」と呼ばれる溶岩流が北側の斜面に流出した。火砕流は吾妻川に流れ込んで泥流となり、利根川に入って流域の諸村に大きな被害をもたらした。この噴火による被害は死者1151人、流出家屋1061戸、消失・全壊180戸余にのぼるなど、国内の火山噴火における一次災害としては史上最大のものとなった。

さらにこの噴火による噴煙が長期間空をおおったため、北関東などでは気温の低下と日照不足などの気象異変をひき起こし、降灰や泥流と重なって農作物に甚大な被害を与え、翌年にかけての「天明の大飢饉」を招く原因の一つになった。
(浅間園提供)

浅間山噴火跡

浅間山噴火跡

左の写真は天明大噴火で北側(群馬県側)に流れ出た溶岩が織りなす鬼押出しの奇観。先端は典型的な塊状溶岩から成る。

その2:【富士山宝永噴火】

富士山宝永噴火

富士山宝永噴火

霊峰富士山は現在は静穏だが、かつては盛んに活動していた時期があり、特に江戸時代初期の宝永4年(1707)11月には大噴火を起こして、周辺の地域に多大な被害を与えた。江戸でも大量の降灰があり被害がでた。
(裾野市立富士山資料館所蔵)

宝永4年(1707)に富士山が噴火したときの江戸のようすは、名著のほまれ高い新井白石の自叙伝《折たく柴の記》に記されており、その中で、「この日、江戸では正午すぎから雷鳴が聞こえ、やがて白色の灰が降ってきて灰は地面を埋め、空は暗く午後3時頃でも城中で蝋燭(ろうそく)をともした。夜に入って灰は降らなくなったが、地鳴りと地震が絶え間なく続いた。2日後の25日、再び空が暗くなって雷のような音が鳴り、夜しきりに灰が降った。この日はじめてこの異変が富士山の噴火によるものであることを聞いた。その日からは黒い灰が降り続いた」と述べている。江戸で富士山の噴火を知ったのは25日吉原宿からの注進が届いて以後のことであった。最初に降った白い灰は石英安山岩質の噴火物、その後黒い灰に変わったのは玄武岩質の噴出物であると推定される。

江戸市中に積もった火山灰は0.6~0.9?ほどであったといわれ、このいわゆる“宝永スコリア”は神奈川県や千葉県などで確認されていたが、都心でも港区麻布台や芝公園の遺跡から検出され、特に芝公園1丁目遺跡では降灰当時の状態で検出され、また降灰によって損壊したと想定される遺構も認められ、それから宝永の富士山噴火が江戸市民にさまざまな影響を与えたことを示している(三省堂《江戸東京学事典》)。

富士山噴火跡